since 1913
Profile
プロフィール
1913年(大正2年)に南薩地区で最も早く写真館を創業して百有余年、地元のみなさまに支えられて共に歩んでまいりました。
老舗の専門店ならではの技術、ノウハウに加え、東京の老舗デパート伊勢丹に入っている伊勢丹写真室で長年修行し数々の受賞歴を持つカメラマンが撮影、おもてなしいたします。お客様に『楽しかった』『仕上がり楽しみにしてます』とおっしゃっていただけるよう誠心誠意臨んでおります。洗練された伝統的な撮影技術に現代のエッセンスを加えた新しい岩城写真館に生まれ変わりました。是非新しい岩城写真館をご利用になってみてください。
カメラマンプロフィール
四代目メインカメラマン 岩城丈
1979年生まれ
2002年日本大学芸術学部卒業後東京の伊勢丹写真室に勤務。
2020年4月より岩城写真館で勤務。2021年1月代表に就任。
お客様に楽しんでいただき、笑顔で帰っていただくことをモットーに
撮影しています。
受賞歴
・日本写真文化協会全国展 下岡蓮杖賞etc
・日本写真館協会写真館大賞 優秀賞etc
・富士フィルム営業写真コンテスト 優秀賞etc
・ハイテクニカルフォトコンテスト 入選etc
・関東写真館協会関東写真館大賞 金賞、銀賞、Reborn60賞etc
・東京都写真館協会 推薦、特選、Reborn60賞etc
・大阪府写真館協会 大阪府知事賞etc
・近畿写真師連合会 入選etc
・九州写真師会連盟 九写連委員長賞、長崎市長賞、特選etc
・鹿児島県写真館協会 銀賞、特選etc
・他多数
保有資格等
・国家検定 一級写真技能士
・ドローン検定無人航空従事者試験3級
・PSMS(フォトセキュリティマイスターシステム)フォトセキュリティアドバイザー認定
・NPS(ニコンプロフェッショナルサービス)会員
趣味
・海外、国内旅行
・キャンプ、アウトドア・ゴルフ
・バイク 愛車 Harley Davidson FLHTCU 1340
・料理、食べること、飲むこと
・温泉、サウナ
・映画、音楽(ハードロック、ヘヴィメタル)鑑賞
・DIY
所属団体
・鹿児島県写真館協会
・九州写真師会連盟
・日本写真文化協会
・日本写真館協会
・南さつま市観光協会
業務内容
スタジオ記念写真、証明写真、プロフィール写真
ロケーション記念写真、スナップ
ブライダルスナップ、卒業アルバム、学校写真
イベント撮影(イベントスナップ、スポーツスナップ、集合写真、同窓会の集合写真など)
商品撮影、建築写真、動画撮影
古い写真や破れた写真の修復、褪せた色の戻しなど。デジカメ、スマホ・携帯プリント、フィルム現像な
ど。
岩城写真館の歴史
1913年初代岩城久雄が弟隼雄と鹿児島市の写真館で修行後に加世田村(現:南さつま市)の現在地で南薩地区で最初の写真館を開業。スタジオ記念写真、学校写真、出張撮影が主な業務であった。近隣に写真館がなかったので近隣の町からも依頼が多く、自転車で撮影に行っていた。出張の集合写真はマグネシウムの粉を発光させるストロボで撮影していた。スタジオはストロボ光はまだなくタングステン光、自然光で撮影。フィルムはまだ無くガラスに乳剤を塗布したガラス乾板でアンソニー写真機という大型カメラを使用。全面窓のスタジオであったが1914年の桜島の大噴火により窓が破損、半面の窓となる。
1945年二代目岩城通光は初代久雄に師事し親子で営業、スタジオ記念写真、出張撮影、学校写真を最大5校受け持つ。1955年代表に就任、1960年に改装、受付、待合スペースを設置し写真館経営の傍ら住居部分を隠すために貸店舗を始める。駐車スペースもこの時に設置。ガラス乾板から白黒フィルム、そしてカラーフィルムへ。スタジオ撮影も初代の時からの大型のアンソニー型写真機からビューカメラや二眼レフなどへ小型化し、スタジオ照明もタングステン光(定常光)からストロボ光撮影へ変わっていった。自家用のカメラも普及しだし、カメラ、フィルムなどの物販、現像、プリント、引き伸ばし、所謂DPEを開始する。
三代目が建てた現在の建物
三代目岩城廣久は東京写真大学(現東京工芸大学)を卒業後服部写真スタジオの服部寿徳氏に師事し建築、広告写真を学ぶ。1976年加世田へ戻り1983年現在の建物に改装。住居部分を2階に移し1階を全て店舗スペースにする事が出来、駐車場スペースも十分に確保、大きな更衣室、広々とした待合スペースを確保し撮影だけでなくサービスの向上を図る。
学校写真は最大8校受け持ち、出張婚礼写真も年間50件ほどありお宮参り、七草、成人式なども多数あり修行時代の経験を生かし竣工写真などの建築写真の依頼も多くいただいていた。写ルンですなどのフィルム現像、プリントやカメラ、フィルムの物販も行っていた。スタジオ写真は完全にストロボ光になりカメラもビューカメラから中判一眼レフ、スナップは35mm一眼レフに移行し遂にデジタル化することとなった。
砂の祭典公式カメラマン
創業当時の写真
大正四年(1915年)の写真。当時はまだ着物で撮影するのが主流だったようです。